当たり前、ということの幸せ
昨日も震度7という大地震が北海道で起こった。
先日は台風襲来。
その前は七月豪雨。
大災害が連続して起こっている。
私たちの日常生活はどうだろう。
水が出て、電気がついて、綺麗な空気が吸えて、家族がいて、その家族が健康でいる。
自分自身も健康で、住む家があり、贅沢さえ言わなければ、食べてはいける。
当たり前のもとかもしれないが、この当たり前、ということほど幸せなことはないと思う。
この1年半、義弟の急死から始まった、目が回るほどの忙しさ。
母が脳梗塞で倒れ、家族での介護。
もともと病気持ちのうさママには、非常に厳しい日々である。
しかし、しかし、前述した当たり前の生活のある幸せを、今日もうさママは、噛み締めている。
先日は台風襲来。
その前は七月豪雨。
大災害が連続して起こっている。
私たちの日常生活はどうだろう。
水が出て、電気がついて、綺麗な空気が吸えて、家族がいて、その家族が健康でいる。
自分自身も健康で、住む家があり、贅沢さえ言わなければ、食べてはいける。
当たり前のもとかもしれないが、この当たり前、ということほど幸せなことはないと思う。
この1年半、義弟の急死から始まった、目が回るほどの忙しさ。
母が脳梗塞で倒れ、家族での介護。
もともと病気持ちのうさママには、非常に厳しい日々である。
しかし、しかし、前述した当たり前の生活のある幸せを、今日もうさママは、噛み締めている。